2021年12月29日水曜日

神社余談(お寺の中の社)ー(No.13)圓福寺・小田原七福神水掛布袋尊 付記:七福神の起こり(小田原市本町4-6-24)

 風土記には稲荷社の記載があるが、確認できなかった。


眞言をとなえながら祈願





神社余談(お寺の中の社)ー(No.12)大蓮寺・小田原七福神福禄寿と稲荷社(小田市南町2-4-9)

 風土記には稲荷社の記載がある。お寺は管理状態が非常に良い。

2015/10/26

稲荷社
山門をくぐると左に鎮座している

2007/01/04

2016/01/03

2015/10/26

神社余談(お寺の中の社)ー(No.11)報身寺・小田原七福神恵比寿神と祠(小田南町3-11-3)

 風土記には淡島社と山王社の記載があるが不明であった。文政10年と彫られた小石祠がある。

2007/01/04
2016/01/03

                        


2007/01/04

2015/10/26


祠(文政10年・1827年)







神社余談(お寺の中の社)ー(No.10)蓮船寺・小田原七福神大黒天と稲荷社(小田原市城山3-31-15)

お寺は 1505(永正2年)年創建(1584年という説もある)で東海道の板橋見付けにあり、「西向き稲荷」も護り神として境内で祀られていた。昭和30年代に区画整理などでお寺と共に現在の場所に移転した。風土記には早川庄板橋村で記載されている。但し大黒天はあるが「稲荷」の記載はない。

山門(2016/01/03)


西向き稲荷社

不明な祠


本堂

右が三面大黒天(左右に毘沙門天・弁財天が彫られている)

大黒天

神社余談(お寺の中の社)ー(No.9)鳳巣院・小田原七福神寿老人(小田原市城山3-7-43)

 風土記に稲荷社の記載があるが、見当たらなかった。

お寺は城山陸上競技場へ行く道路の途中に有り、急坂を上がった場所にあります。

2016/01/03




2021年12月27日月曜日

神社余談(お寺の中の社)ー(No.8)福泉寺・小田原七福神満願弁財天と白山社(小田原市城山1-19-1)

 大稲荷神社の隣りに位置しています。風土記には弁天社と白山社の記載があります。大稲荷神社の鳥居のすぐ横で入り口付近に白山社祠があります。気がつかないかもしれません。曹洞宗(永平寺)の護り神が白山妙理大権現です。


白山祠




毎年七福神巡りの巡礼者でにぎわいます。


神社余談(お寺の中の社)ー(No.7) 潮音寺・小田原七福神 毘沙門天(小田原市久野511)

 小田原七福神の毘沙門天(室町時代の作とされている)を祀る堂がある。資料によると紆余曲折を経て1911年(明治44年)に安置されたという。

潮音寺(1554年創建)

毘沙門天堂
2007/01/04

2016/01/03


先達はメジロとありますが。。

風土記には記載ありません。

格言
2020/10/11



2021年12月24日金曜日

神社余談(お寺の中の社)ー(No.6) 長安寺(小田原市扇町)

 お寺の入り口が国道255号に面していて、市役所ケヤキ通り信号付近(寺町信号)にあります。裏が山王川です。

入り口にある稲荷祠


鬼母子神堂

啖啖大明神 
啖はむさぼり食うという意味ですが😓。

不明祠

風土記では「番神堂」の記載があります。なお境内に小田原市指定重要文化財の桐大内蔵(きり-おおくら 江戸時代前期の女歌舞伎役者)の墓があります。

2021年12月21日火曜日

神社余談(お寺の中の社)ー(No.5) 妙泉寺 (小田原市本町)

 箱根登山大雄山線の上多古に妙泉寺第一、第二踏切があります。



踏切の名前が残っているので、妙泉寺はこの場所にあったと思われますが、線路脇に住んでいる人に聞いてもわかりませんでしたので調べてみました。
妙泉寺は1429年の創建です。北条氏康の時代の初期に、上多古から現在の場所(本町)に約500坪の土地を与えられて移転しています。風土記には「毘沙門堂」が記載されていて、現在も存在します。他に、「痔神社」も記載がありましたが、確認できませんでした。
山門入り口

本堂

毘沙門堂