2021年10月30日土曜日

神社余談ー(No.16)  高野山の「小田原天神社」(2021/10/30)

 高野山高野町に「小田原通り(通称)」と「小田原天神社」があります。高野山は北条氏直が小田原合戦で秀吉との戦いに負け助命されて追放された場所であります。北条氏直が蟄居した高室院の近くに天神社があります。てっきり氏直と関係がある神社かと思い、高野町教育委員会に問い合わせをしたところ、全く見当違いでした😰😢。元々天満宮で火防の神として別の場所に祀られていました(千手谷 天歴年間 概ね900年~)が小田原谷と呼ばれる現在の場所に移転したそうです。

「小田原聖」と呼ばれた教懐上人(概ね1000年~)が山城国小田原から高野山の当地に移り住んだことから「小田原」と名付けられたのではないかと推定しました。




2021年10月22日金曜日

神社余談ー(No.15)  路上のお稲荷さん(2021/10/22)

 県道72号線田島公民館手前の反対側の道路脇にお稲荷さんの小石祠があります。この場所には若干のスペース(空き地)があります。どんな建物があったのかはわかりませんが、お稲荷さんをこの場所から動かすわけにはいかなかったのでしょう。

2018/11/07


右に公民館


今(2021/10/22)この場所にあるかどうかわかりません😌。


2021年10月13日水曜日

神社余談ー(No.14) フィギユアのあるお稲荷さん(2021/10/13)

 飯泉観音勝福寺仁王門の向い側に公民館があります。その敷地内にお稲荷さんがあります。場所柄公民館付のお稲荷さんであると思っていましたが、近所の方の話によると実は個人の稲荷社だそうです。何故ここにあるのかはわかりません。所有者は他の町の方だと言ってました。きちんと管理されています。背後の道路側に木々があって道路側から見えにくく、案外気がつきにくいと思います。

興味あるのは側にあるフィギユアです。変ったり増えたりしています。

公民館側から
2008/04/16

鳥居の後方・道路側

2019/08/26
右に1体 既に道路側にはありません
 

琵琶を背負っているようです

右奥1体増えてます
2020/02/27~2021/10/13現在

後方は何者?

尚、近くに市指定文化財の徳利と盃を持っ双体道祖神があります。
左道祖神・右地蔵塔






2021年10月6日水曜日

神社余談ー(No.13) 細川忠興が布陣した板橋の富士山(ふじやま)砦小祠(2021/10/06)

 2008年(平成20年)に訪れたとき、場所柄,浅間社であると思っていたが、「小田原 風土記考 No.20 P-3」に詳しい解説があり、この小祠は浅間社の跡地に建てられた秋葉山量覚院奥の院であるとのこと。当地には秋葉社と浅間社があったが、両社とも明治43年に城山の居神神社に合祀されている。

2008/04/25

しかし、最近ミニコミ誌の「ポスト」2021/01/08 No.2103号小田原城さんぽ210に「小田原の城と緑を考える会長、博物学者」のT氏は浅間社と記載している。どちらが正いのだろうか?😤

冨士山砦👈👈👈

2021年10月4日月曜日

神社余談ー(No.12) 新田神社元地の旧祠(2021/10/04)

 網一色八幡神社内に境内社として新田義貞を祀る新田神社があります。明治25年に元地から移転したものです。旧東海道に沿った狭い場所の元地に旧祠があります。義貞は上野国新田庄〔群馬県太田市付近)で生れ、南朝の総大将(後醍醐天皇方)となり、越前国藤島(福井市)で戦死しました。首級が京都に晒されていたのを家臣が奪い故郷の上野国に届ける途中病気になり動けなくなったので、この地に埋葬したと伝えられた首塚が付近にあります。

八幡神社内の新田神社

新田大明神と敷地
2019/01/13

整備されていました
2021/10/02

後方は国道1号線

1号線から見えます

保存管理を行っている方々に敬意を表します。