2022年12月14日水曜日

神社ー久しぶりの酒匂 道三稲荷社(No.184-2020/5/23で-既報)(2022/12/14)

 H27年(2015年)以来の訪問。境内は綺麗に管理され籏がカラフルなものとなっていた。社殿のそばにあった小石祠が見当たらなかった。来年の初午祭には訪れてみたい。

2022/12/09


2019年当時:
2019/09/27



2007年当時:
2007/05/21
社殿の左手に小石祠



2022年10月8日土曜日

神社余談ー(No.36) 路傍の社(続編5)(2022/10/08)

 たまたま通りかかった中町界隈にある個人病院の駐車場の道路側に鳥居が見えたので、参拝させてもらった。社殿をよく見るとキツネさんは1体のみでした。


手入れがされていないようです

当病院が建設されるとき、同時にお稲荷さんも建てられることは考えにくいので、この土地に以前からあったと思われます。


2022年10月2日日曜日

神社余談ー(No.35) 社殿の崩壊した小社 (2022/10/02)

 新編相模国風土記に記載がある早川神明社社殿が倒壊していました。

2015/11/11:




2022/09/30:
(早川観音堂脇の斜面を上がる)

倒木に阻まれ危険で社殿まで近づけません。


写真を拡大してみると、お賽銭箱に「昭和39年(1964年)10月吉日・瑠璃山真福寺」と書かれているのが判ります。
2015年当時に出会った方から所有者が個人に変わっていると聞きました。
すぐ裏側は開発されて分譲地となっている。その隣は西湘老人ホームです。


神社余談ー(No.34) 路傍の社(続編4)(2022/10/02)

 国道1号線東京方面から見て、山王川を越えた左側(海側)の浜町信号先の歩道脇に白壁の土蔵を背にした稲荷社がありました(細い道を隔ててリサイクルショップがある)。ここは専用のスペースらしいので個人所有か公共(自治会持ち)か判りません。歩いていれば気付くかもしれません。縁台みたいなものがあっておじいさんが一休みしていました。






2022年6月17日金曜日

神社余談ー(No.33) 路傍の社(続編3)(2022/06/17)

 久野の元日本たばこ産業の空き地(イオンタウン計画が進行中)のそばを通りすぎるとまもなく、下宿自治会山車庫が目に入ります。その前を右折すると、道の奥に目につく大きな鳥居が見えます。そこは造園会社広い敷地の一角です。早速行ってみました。

2022/06/16

ふと横を向いたら大きな鳥居がみえました

かなり年配なおばあさんが草取りをしていたので声をかけると、中に入ってお参りしていいよと言ってくれたので、お参りして写真を撮らせてもらえました。

新しい鳥居

白笹稲荷のお札が入っています

話によると、白笹稲荷で、祠は100年以上前からあり(ただし社殿はその当時からのものかは判りません)、以前の鳥居はボロボロになったので大きな鳥居にしたとのこと。お参りしたら喜んでくれました。この裏側の道を入っていくと京福寺があります。以前このお寺に立ち寄ったときにこの場所を通過したはずですが、気がつきませんでした。おそらく鳥居も小さく、そして植林が茂っていたので見えなかったのだと思います。

守り神として代々大切に受け継がれてきている祠が久野には沢山あると思います。


2022年6月5日日曜日

神社余談ー(No.32)佐軍神社(おしゃもじさま)

大きな神社を訪れると境内に(敷地内に)、時々あまり聞かない名前の神社に遭遇することがあります。

加茂神社の一角に佐軍神社が鎮座しています。この神社はもとは稲荷の森(今はいなりのもりパーク付近か?)という場所にあり、ここから移ったそうです。名前が珍しいので全国の神社を調べてみたら同じ名前の神社は殆どなく、春日大社の末社👈👈👈としてありました。祭神は布津之霊大神(布都御魂の大神)で奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)と同じ祭神(悪縁を絶ち平穏をお守りくださる神様)です。

上新田村の氏神様で、「H12年さんわ会25周年記念誌」によりますと、文政3年(1820年)鴨宮字稲荷森875番地に鎮座されていたが、1950年に加茂神社境内に遷座されたと伝えられている。

いなりのもりパーク
(小田原市鴨宮837)

加茂神社境内にある佐軍神社
(鴨宮708)

佐軍神の銘

小田原の史跡川東版(H14年p76)には、1820年「捨具神」を造立し稲荷の森に安置したとあります。「捨具神」から「佐軍神」となったようです(諸説があるようです)。女児が一歳になるとおしゃもじを納めたとのことです。
おしゃもじの奉納については、同様に、高田の若宮八幡神社の裏手に「社宮神・おしゃもっさん」があります。こちらでは、中に納められているおしゃもじで患部をなぜて、治癒したら新しいおしゃもじを奉納します。神社余談(2022/04/03 No.30 )に記事があります。

社殿内のお像にはおしゃもじらしきものを両手にもっているようにも見えます。






















2022年5月30日月曜日

神社余談ー(No.31) 下新田神明神社跡

下新田の鎮守であった神明神社は 、1911年に賀茂神社(神社No.60で紹介)に合祀された。跡地は区画整理が行われ、管理されている。そばには菊川が流れている。

(小田原市鴨宮3-39)

神明社遺跡・1971年建立

敷地内の石仏等

毎年行われる菊川の鯉のぼり
2022/05/05

新編相模国風土記稿には記載があるが、「由来版」を見ないと下新田神明社の痕跡はわからない。賀茂神社の祭神として別雷之命とともに天照大神が加わったことが書いてある。
賀茂神社の由来版
賀茂神社は鴨宮と上新田の鎮守であるが、
鴨宮地区には、もう一つ中新田の鎮守である神明社(No.64で紹介)があり、中央図書館の裏側近くに鎮座している。

参考文献:
さんわ会による25周年記念誌「我が町の今と昔」(下府中地域) 平成12年
小田原市教育委員会による「小田原の史跡」川東版 平成14年 (P-79)











2022年5月7日土曜日

神社余談(お寺の中の社)ー(No.60)最終回4寺

 「お寺の中の社」最終回は矢作の春光院(風土記:幾久川天神社)、府川の正應寺(観音堂・天神社)、中里の満福寺(-)、国府津の真楽寺(歸堂)です。

矢作 春光院(小田原市鴨宮446):菊川天満宮


菊川天満宮

府川 正應寺(小田原市府川339):観音堂・天神社は確認できず、地蔵堂があります。


地蔵堂

国府津 真楽寺(小田原市国府津3丁目2-22):歸


命堂
親鸞ゆかりの高さ2m歸命石を収めたお堂

中里の満福寺(小田原市中里487)には八大竜王が祀られています。

2022年5月6日金曜日

神社余談(お寺の中の社)ー(No.59)石橋・根府川・米神・江の浦地域4寺

 訪問時は2015年12月です。

石橋:宝寿寺(-) 根府川:岩泉寺(-) 米神:正寿院(風土記:観音堂)

 江の浦:  昌満寺(天神社)

米神:正寿院の観音堂を確認。 石の祠がありました。

2015/12/26  AM:9:55

観音堂


江の浦:昌満寺の天神社は確認できなかったが、石の祠がありました。




2022年5月4日水曜日

神社余談(お寺の中の社)ー(No.58)風祭・入生田地域5寺

 風祭:妙覚寺(風土記:稲荷社)萬松院(白山社・山神社)宝泉寺(観音堂)

    萬松院の社は確認できなかった(2022/05/04訪問)

    妙覚寺(小田原市風祭482-1):

2015/11/01当時



    宝泉寺:観音堂

観音堂


入生田:紹太寺(風土記:鎮守社)妙力寺(-)

    紹太寺では確認できなかった(2015/11/01当時)

    妙力寺(小田原市入生田482-4):豊川稲荷社、不動堂、釈迦堂を確認

2015/11/01

豊川稲荷社

不動堂

釈迦堂














入生田:紹太寺(風土記:鎮守社・弁天窟)妙力寺(-)

    紹太寺には確認できなかった。妙力寺には豊川稲荷社、不動堂、釈迦堂が確認できた。