2020年6月14日日曜日

おわりにー終了しました(2020/0614)

2018年(平成30年)7月29日に「はじめに」から始まった神社紹介は本日2020年6月14日に「おわりに」で終了します。約2年越しでした。平成28年に「小田原の神社巡り」改訂第3版を元に神社(No.1)の井細田八幡神社から神社(No.217)の栄町稲荷社まで訪れた神社(小社・祠を含む)すべてをここに記載しました。神奈川県神社誌の小田原に掲載されている有名神社(59社・56年度版)ばかりでなく、非登録のたくさんの小規模神社や小祠をできる限り探し記録しました。

左から第1版.第2版.第3版
この本を見る度に仲間と共に、例えば山の斜面にある祠を目指して炎天下自転車で息を切らせながら駆け回ったことや、本の編集作業の楽しかったことなどが懐かしく思い出されます。もう二度とできません😤。


2020年6月6日土曜日

神社(No.217)ー栄町 稲荷社(2020/06/06)

ビルの屋上に鎮座するお稲荷さん。ビルの建築の時に屋上に移されたと思われる。




神社(No.216)ー小八幡 稲荷社(2020/06/06)

明治元年(1868年)明治天皇が用便のためで立ち寄られた魚利商店裏庭の池のそばにあるお稲荷さん。明治天皇御野立て址の碑がある。

シルバー大学実習見学時
2008年頃の写真


2020年6月4日木曜日

神社(No.215)ー桑原 2カ所の石祠(2020/06/04)

桑原上天神公園内(小田原市桑原247)と桑原公民館敷地内(桑原21)に同じような石の祠がある。
上天神公園全景
2020/05/08







2020/05/24




神社(No.214)ー北ノ窪 音若稲荷(石祠)(2020/06/04)

陽雲寺の石垣風土留壁に沿って細い竹林を出たところ(旧古道)にお稲荷さんの祠がある。
由来は不明。


2020年5月26日火曜日

神社(No.213)ー延清 浅間神社(石碑)(2020/05/26)

祭 神:木花咲耶姫命
由 来:延清村の鎮守。明治42年(1909)勅令によって西大友の八幡社とともに東大友の八
   幡社に合祀させられた。しかし、再建の議がまとまり募金などにより昭和3年
   (1928)4月1 日に旧宮地で石碑が建立された。     『相模国風土記稿』(浅間社と
   して)や『皇国地誌残稿』(明治 18 年刊 遷現社として)に 記載がある。(『郷土誌 東
   大友・西大友・延清』参照)
境 内:妙了寺墓地の北 50mほどの所。社殿はなく根府川石の石碑が立っている。天王社
          の石祠がある。


神社(No.212)ー永塚 雷電神社(2020/05/26)

祭 神:大電雷神  火雷大神  別雷大神   
由 来:『相模国風土記稿』によると、かつてこの地が伊豆山権現領だったことから伊豆国
          走湯山中の鎮守を勧請して土地神にしたとされる。御神体は石造である。永塚は、
          千代台地の北一帯にあり古道の足柄道の道筋にあたる。
境 内:永塚観音の近く住宅地の一郭にある。340 坪ほどの広さで、鳥居からきれいな石畳
           の参道。 樹木に囲まれよく管理されている。寛永11 年(1799)大山寺の大勧進明
           厳が寄進した灯籠が あり[雨霰雪なり水とへだつれどいずれは同じ谷川のみず]と
           彫られている。
行 事:祭礼は4月第2日曜日(平成22年は4月 11 日)で、昭和 38 年(1963)ころまでは
          山車が出ていたが、現在は子供神輿1基が出る。 氏子数は永塚自治会地区の約
          350 世帯。




神社(No.211)ー下大井 稲荷神社(2020/05/26)

山王橋そばの下大井公民館脇に稲荷がある。この場所は山王社の敷地だったという。庚申塔や寒念仏等の古い石造物群が公民館敷地内にある。 (平成27年11月28日 訪問)




神社(No.210)ー東大友 大友稲荷(2020/05/26)

大友地区には2つの稲荷がある。1つは西大友北西のこの地でもう1つは東大友南東の地にある。 南東にある稲荷は民家の中にあるので見られない(近所の住民の話)。
 (平成27年11月28日 再訪)

神社(No.209)ー東大友 大辯財天(石碑)(2020/05/26)

九州戦国大名の大友氏の始祖である大友能直の母が信仰していた弁財天を祀るため貞応元年 (1222)に建立とされている弁天社は明治3年の嵐で大破。大正3年に碑を建立。弁財天の神像は村の公民館に安置されている。和田屋敷跡にあった2つの墓石には[当和田屋敷主三人之精霊墓]と [和田屋敷之祖家来之緒精霊]と刻まれている。屋敷三主人とは大友能直、和田義盛、松平十郎左衛 門忠勝のこと。弁財天社と墓石は現在地より北方にあり耕地整理のために現在地に移った。




神社(No.208)ー東大友 八幡神社(2020/05/26)

祭 神:応神天皇(品田別命) 木花咲耶姫之命
由 来:明治42年(1909)東大友村社八幡神社、西大友村社八幡神社及び延清浅間神社を合
           祀したもの。寛正3年(1462)12月鶴岡八幡の社領に献じて同宮を勧請したと伝え
           られるが定かではない。 (『郷土誌 東大友・西大友・延清』)
境 内:道路際に立つ鳥居から住宅と畑に挟まれた桜並木の参道を 50mほど入る。約 500
           坪近い広さで整備されている。舞台小屋がある。
行 事:例祭日は10月10 日(体育の日)。9:30儀式  10:00 神輿宮出し  宮入り15:00
           頃,  山車は西大友のみを巡る。 氏子数:西大友 東大友 延清地区で約 350 世帯





神社(No.207)ー西大友 第6尊天(石碑)(2020/05/26)

祭 神:第六天
由 来:明治28年大友亀太郎寄進の石碑である。 『相模国風土記稿』には「第六天社、盛
   秦寺持ち、 貞亨(1684-1687 年)の棟札あり」と記され、古絵図では高台の大きな森
   の中に社殿があっ た。明治初年からは須加神社とよばれ祭神はスサノオの尊(『小田
   原の史跡』参照)であった。『郷土誌 東大友・西大友・延清』参照。
行 事:例祭日は7月8日か? 氏子数:約160 世帯



神社(No.206)ー西大友 熊野神社(2020/05/26)

祭 神:3 神(熊野速玉大神 素盞鳴命 伊弉諾命)
由 来:現在地から道路向かいの北寄りの場所にあった旧境内の東に八幡社西に熊野社が並
    び共に村の鎮守であった。昭和23年(1948)、熊野社再建のために熊野講が結成さ
    れ10月5 日社屋が落成。同38 年(1963)4 月16 日に鎮座。15 周年に神殿の上屋
    が落成した(『郷土誌 東大友・西大友・延清』 )。八幡神社は延清の八幡神社と共に
    東大友の八幡神社に統一された。
境 内:きれいに管理状されている。旧阿弥陀堂ゆかりの寛文10 年(1670)の名号塔や石碑
    がある。
         熊野神社と八幡神社氏子中とある玉垣があるのは、八幡神社が東大友の八幡神社に
           明治42年(1909)合祀される前にあった熊野神社と共に同じ境内にあったためで
           ある。
行 事:例祭日は4月16 日で祝宴行事のみ。昭和51年完成の山車がある(菅原大神に山
    車小屋が ある)。



神社(No.205)ー西大友 菅原大神(石碑)(2020/05/26)

祭 神:菅原道真
由 来:明治28年建立(第六尊天と同じ年)。西大友の北西に武神である第六尊天、南東に
    文神である菅原道真の菅原大神(天神社)を祀り村の平和と発展を祈願。 『相模国風
    土記稿』に記載あり。『郷土誌 東大友・西大友・延清』参照。
境 内:社殿の建物はなく菅原大神と刻まれた石碑のみ。奥にある大きな倉庫の中に西大友
    の山車 がある。
行 事:1月25 日 天神祭  例祭は10 月10 日で東大友の八幡神社の例祭に合わせる。





神社(No.204)ー鬼柳 白山神社(2020/05/26)

祭 神:菊理媛神
由 来:不明               
境 内:田畑の中に整備された一角。滑り台やブランコがあって遊び場にもなっている。
行 事:上大井町の三島神社の祭礼(4月)に参加し、神輿が町内を渡御する。三島神社は下
    大井と鬼柳の総鎮守で白山は鬼柳の鎮守。 白山神社の氏子は三島神社の氏子でもあ
   る。



上大井 三島神社

神社(No.203)ー曾我原 稲荷神社(2020/05/26)

祭 神:宇迦之御魂神
由 来:不明
境 内:みかん畑の一角にある。 平成21年(2009)12月26日近くにある太宰治ゆかりの
   雄山荘は火事で焼失した。 跡地は現在まで放置されている。
   (平成27年11月16日 再訪)