2021年11月8日月曜日

神社余談ー(No.17) 東京吉原弁財天(2021/11/08)

秀吉との戦いに敗れた北条氏の滅亡後、多くの小田原人が江戸へ移住し、元吉原の創設者庄司甚右衛門(甚内)もその一人で、小田原北条氏の家臣とも言われ、吉原弁財天の玉垣にその名が刻まれ,又境内には甚右衛門の碑があります。老朽化した社殿は2012年(平成24年)に地元有志により今の形に改装されています。

2017/03/16

弁財天元宮へ

社殿中には琵琶を持った弁天様が鎮座

派手な壁画

1923年(大正3年)に発生した関東大震災の際、弁天池(花園池)に逃れ溺死した約500名の犠牲者を悼んで観音像が建立されています。

当時の弁天池と犠牲者

池は現在ではごく一部のみ


吉原観音

今でも、作家で僧侶の家田荘子氏が犠牲者供養のため読経を行っています(2019年10月24日の東京新聞の記事)



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