秀吉との戦いに敗れた北条氏の滅亡後、多くの小田原人が江戸へ移住し、元吉原の創設者庄司甚右衛門(甚内)もその一人で、小田原北条氏の家臣とも言われ、吉原弁財天の玉垣にその名が刻まれ,又境内には甚右衛門の碑があります。老朽化した社殿は2012年(平成24年)に地元有志により今の形に改装されています。
2017/03/16 |
社殿中には琵琶を持った弁天様が鎮座 |
派手な壁画 |
1923年(大正3年)に発生した関東大震災の際、弁天池(花園池)に逃れ溺死した約500名の犠牲者を悼んで観音像が建立されています。
当時の弁天池と犠牲者 |
池は現在ではごく一部のみ |
今でも、作家で僧侶の家田荘子氏が犠牲者供養のため読経を行っています(2019年10月24日の東京新聞の記事)
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