祭 神:猿田彦命
由 来:縁起によれば、僧行基が行脚のみぎり小竹山頂に地蔵堂を建立した。平安時代に伊
勢神宮 の神官で仏門に入った広瀬入道実応が諸国行脚のおりこの地蔵堂に寝宿した
祭に白髭の 神夢をみたので、9寸5分の神体を刻み神殿を造って元慶元年(877)9
月9日に盛大な鎮 座祭を行ったのが起源とされる。その後、社殿は荒廃してしまっ
たが、現宮司中村氏の祖で近江滋賀郡の松浦入道綱泰が時の豪族中村太郎景平の助
力を得て再興した。文治3年 (1187)である。建久元年(1190)、源頼朝が神領を寄
進しているのをはじめ、足利尊氏、北条早雲なども尊崇していて、この地域の総氏
神として尊信されている。
境 内:拝殿、狛犬、灯篭、庚申塔、神輿庫などとともに、鐘楼、舞台小屋がある。またク
スノキ の大木の根元にある富士山祭祀碑は文化8年(1811)建立で小田原市内最古と
いわれる
行 事:奉射祭。1月7日に行われる五穀豊穣を祈り農事の吉凶を占う神事。神社の当主と
その分家の当主が境内に設置された的に向って矢を射るもので、小田原市の無形民
俗文化財。最後の矢が射たれると「的破り」といって、的に吊るされた鳥形を奪い合
う。鳥形は魔よけになり1年の幸運を招くと言われている。 小祭(夏祭り)は7月
15 日に近い日曜日。例大祭は10 月第2日曜日。氏子数は小船・中村 原・小竹・明
沢・羽根尾・押切・上町・沼代などで約 2500 世帯。
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