由 来:大塔(だいとう)家の屋敷神である。建武2年(1335)7月に鎌倉で足利方に暗殺され
た大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)の首を側室の南の方が後醍醐
天皇のいる京都に運ぶ途中、当地で親王の子を出産後死去した。これを偲んで神社
を建立したと言わ れている。産まれた男子は成長して大塔姓を名乗ったとのことで
ある。この伝説は他地方にもある。なお当家は代々名主を務め、日蓮宗広宣寺の開
基(応永 30 年・1423)である。
境 内:大塔家の脇の小高いみかん山の頂上にある。みかんの木々に囲まれ広さ 20 坪ほど
の一郭 にガラス戸の小屋に祀られている。背の高い桜の木が1本立っているのが印
象的である。
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